ゴダール・ソシアリスム

猫の映像を飽きることなく撮ってはわざわざ編集してネットにあげてますid:autoprocです。今回のこのゴダールの新作について、撮った動物の映像をいかに編集するか?という点でシンパシーを感じたので(というとおこがましいですけど)、そのことを書きます。

この『ゴダール・ソシアリスム』では彼にしては珍しいポンと寄るカット、またポンと引くカットがあります。その被写体となっているのが動物だったのでした。リャマなんですが、ゴダールは何故いつもやらないようなことをここでやったか。やってしまったか。

リャマという動物は、今回映像を観た感じだと、どうも馬よりは落ち着きがない。また犬のようには命令に従わなそう。つまりなかなかコントロールしづらい動物のようでした。ええと、もう結論ですが、これこそゴダールにポン寄りさせた原因ではないかと思われました。

本来まったく関係のない二つの映像に関連を見いだすことが、映像編集の面白さの一つであるし、ゴダールの編集原理の一つではないかとも思いますが、劇映画の中でこの「本来まったく関係のない」ということをはっきり示すことは結構難しい。というのは被写体となっている役者にもう一回同じように動いてくれといえば同じように動いてくれる訳で、そうすれば二つのカットは当然のように繋がっているように見えてしまう。本当は繋がっていないのに。

本当はポン寄りもしたいしアクション繋ぎもやってみたかったけれど、この部分の嘘がどうにも許せない為にずっとやれないでいた。しかし、今回リャマという被写体を得て、ついにゴダールはやってしまった。このやってしまった感、とても胸を打つものがありました。

二台のカメラを同時に廻せばいかにコントロールしづらい動物でも自然に繋がるように二つの映像を撮れます。しかしそれを繋いでも映画にはならない。繋がっていない映像が繋がっている。これが映画だと、そういうメッセージのようにも感じられました。昔の人(フォードとか?)は人間を使ってそれをやれていたんでしょうが、ずっとそれに憧れつつもできなかったゴダールが、ここにきてようやくやった!リャマで!まったく感動的な繋ぎでした。