王兵『原油』

王兵の『原油』をオーディトリウム渋谷で観ました。まず以下に劇場サイトの説明を。

原油 CRUDE OIL *日本初上映
2008|840分 *英語字幕のみ/資料配布
1部: 420分 2部: 420分
2008ロッテルダム国際映画祭公式出品/2008香港国際映画祭出品/2008トロント国際映画祭出品


かつて中国で最も貧しかった地域は、現在、石油、石炭、メタルの産出によって収入を得、採掘地域はたえず広がっていく。ワン・ビンはそこで長い1日の労働を映し、さらには食堂や寮でトランプに興じる時間を労働者とともに過ごす。ここで費やされる14時間は、観客のリアルな時間とパラレルになり、最もシンプルな映画言語を大胆にも表出する。『鉄西区』を超える14時間は、各国映画祭で大きな話題を集めた。


*『原油』上映に関して
海外ではこれまでギャラリーなど開かれたスペースでインスタレーションとして展示され、鑑賞者の出入りが自由な環境で上映されております。オーディトリウム渋谷ではスクリーンに影響がない程度で場内に薄明かりを残して上映を行います。休憩は3時間半ごとに10分間ずつ設けます。本篇上映中のお客様の一旦退場、再入場、および途中からのご鑑賞も随時受け付け致します。
なお字幕は英語字幕のみとなりますが、鑑賞のポイントをおさえた資料を当日ご来場の方に配布致します。


映画『無言歌』の公式Twitterのツイートにあった、王兵による『原油』へのコメント

”『原油』は、一種の実験です。観客に座って見てもらうのではなく、公共の場所でずっと流しっぱなしにするのです。絵画のようにずっとその場所に飾られており、見たいときに見て、見たくなくなったら通り過ぎる。それは展覧会芸術の時間の概念であり、映画のものとは異なるのです。”

http://mobile.twitter.com/eiga_mugonka/status/134554268307951616

さらに、『原油』について監督はこのようにも話していました。“ショピングセンターや会社の階段のそばとかにモニターを置いて映像を流しておいて、そこを訪れる人に見てもらう。 そういうイメージで製作された作品です。実は映画館での上映してもらうのはなんだかちょっと心苦しい気がする…”と。

http://mobile.twitter.com/eiga_mugonka/status/134554860682096640


今回の映画館での『原油』上映、私は1部と2部を二日に分けて観たのですが(両日とも30分程度遅刻したけれど)、たしかに映画館での上映というかたちで観るようには作られてなかったように思います。それでも「見たいときに見て、見たくなくなったら通り過ぎる」という見方ではきっと発見できない魅力もありました。

例えば、1部の後半で延々続く日中の作業の時間。労働者たちは耳あて付の大きめのヘルメットを被っており、またシルエットとなっているショットも多く個人を判別するのが難しい。労働者達は工事用の重機と連動した純粋な運動として画面におさまっているように見える。それが2部の前半になって急に、点検作業らしきことを行っている一人の労働者の横顔をそれとわかるように映す。その表情を観る私は1部の前半に延々続いた休憩室での時間を遠く思い出す。携帯電話から流れていた中華ポップスや身体を寄せ合っていた男たち、その外部が示されなかった為に大きな工場の中の一室のように見えた休憩室を思い出す。彼はやがて歩き出して、カメラは後からそれを追う。階段を降りる。ちっぽけなプレハブに入る。そこは昨晩までは永遠に続く夢のような時間の中にあった休憩室で、今明るい昼の光の下にあるその室内はただ閑散としているだけで、昨夜の残響なんて聞こえるはずもない。
というような映画としての展開を観賞者が引き出せるような順番に映像が配置されている。
一方、展示というかたちでの観賞が前提とされているからか、全てのカットがあまりにも長い。長回しの中で何かが起きるのを待ってるようでもなく(起こるべきことが勝手に起きているという印象。休憩所から全ての人間が退出してもカメラは回り続けている。やがて誰かがやってくるけれどそれを待って回し続けていたのではなく、誰もいなくなった部屋に佇んでいたらそのうちまた人がやってきた。が何回も繰り返される感じ)、ただ単に長い。フィックスが九割以上、ワンカットの長さは多分だいたい2−30分くらい。カメラは常にいい位置に置かれているし、映されているもの/録られている音に魅力がある(特に全編に渡ってぶんぶんうなっている工事現場全体に響く低音はこの作品のまさに通奏低音で、そこに金属のぶつかる音等がリズムをつける。作業員が変わるとそのリズムも変化するし、ドアの開閉で響きも変わる)ので、嫌な気持ちにはならない。というかかなり楽しい。とはいってもさすがにずっと同じシーンを眺めていれば勝手に身体が睡眠を欲するので、その楽しさもカットごとに微睡みの中に埋もれたり、また浮上したりを繰り返すことになる。寝てるとはいえ感覚はあるので音や映像が変化すると自然に目が覚める(なのでカットの切れ目は見逃すことが多かった)。そういえば今回の上映では上映マスターが悪かったのかそれをかけるデッキとの相性が悪かったのか、数十回にわたる音の途切れ、数秒の映像停止や乱れがあった。でもそれも目を覚ますきっかけになった(なのでいつもなら激怒するところだけれど今回は怒らない)。


劇場サイトの説明に「リアルな時間とパラレルに〜」という話があるけれど、“ショピングセンターや会社の階段のそばとかにモニターを置いて映像を流しておいて、そこを訪れる人に見てもらう。”という王兵の構想そのままならそういう感覚を強く感じることもできたのかもしれないけれど(実時間と映画内時間が一致しているクリスチャン・マークレー『The Clock』のように)、今回は朝/昼から始まる上映に対して映画は夜から始まっているし、映画館という特別に隔離された環境でもあるし、観客が意識的にがんばらない限りはパラレルにはならないと思う。
また「見たいときに見て、見たくなくなったら通り過ぎる」ようなインスタレーション式の展示だったとしても、これだけの長さの作品となると上に書いたような突出したシーンや展開を見逃すことになる訳で、そうなると非常にもったいない(観るタイミングによってはただ作業員が延々工事してるだけの作品になってしまうし、複数映像の同時投影は考えられるけれど一つの場所で経過する時間を体験することが重要なこの作品には馴染まなそう)。実際1部か2部だけを観た人もいることを考えると、全カット半分にして7時間の作品にした方がどれだけ良かったかと思う。もともと全体の構成や映像の内容にしたがって厳密にワンカットの長さが設定されている訳じゃないし(王兵なら切るタイミングはいくらでも見つけられるでしょうし)、まず14時間でも7時間でも長さからくる密度を感じるにはかわらない。そのくらい14時間は極端な長さだった。インスタレーションをそのまま劇場にもってきただけなので仕方ない部分はあるにせよ、それを考慮しても素材の要求するまとめ方になっていないところがもったいないと思いました。


という訳で、上映後に『無言歌』公式Twitterからツイートされた”なんだかちょっと心苦しい気がする…”という王兵のコメントには私はかなり頷けるところがあったのだけど、これだけ面白いのだから劇場上映用に再編集してもいいのに。とも。それとできれば日本語字幕で観られたらなあ。かなり面白い会話もあったようなのにちゃんと理解できなかったから。