うちにきて、ふた月になる猫のこと

昨年末から、また猫と暮らしている。いつかまた、誰か(人間)と同居なり、あるいは結婚なり、をするようなことがあったら、そういう時には猫もいたらきっといいな…くらいのふわふわした希望は漠然と持っていたものの、猫を亡くして一年も経たないうちに、また別の猫と水入らずで暮らしている。ということについての説明はやっぱり必要ですよね…と、昨年末、友人が来沖した折に尋ねてみたら、「ああ あんなこの世の終わりみたいなブログを書いたんだし、まあそうだよね」と。私としても、この行き掛かりというか、巡りあわせというか、それなりの理由はあるので、説明をしようと。そう思ってから書くまでにひと月以上かかってしまったけれど。

 

うちから歩いて6、7分の距離に、私が週に2、3回通っている映画館があります。映画館の前には小高い丘になっている公園があり、その公園の映画館側の階段のなかほどに、その猫はいつもいて、いつ頃からだったかと写真フォルダを確認してみたら、いちばん古い写真は去年の8月だった。初めて遭遇した時からとてもよく懐いてきた猫で、通りかかるとすぐに身体を擦り寄せてくるし、階段に腰かけると膝の上に乗ってきたり、仰向けになってるお腹を撫でれば気持ちよさそうに為されるがままになったりしてた。たおは、お腹なんか絶対触らせない猫だったから、こんな猫もいるんだな…と思ったことを覚えている。

 

そうして映画館に行く時はいつも、今日もあの猫は元気にしてるかな、と確認するようになった。映画は一日に何本か観ることも多いから、まず一本めの映画を観る前に撫で、次の映画までの空き時間に撫で、最後の映画が終わってから、さよなら明日もお元気でって撫で、と常連のようになってった。すると気づく。懐いてるのは私に対してだけではなくて、お歳を召した爺さまにも、夫婦のようなカップルにも、若い方たちにも、誰にでもすぐ寄ってって、腰をトントンと叩かれて気持ち良さそうにしていたり、膝の上で寛いだりなどしている。私は基本的に、人間でも何でも、特別扱いや分け隔てのない対応をする方々が好きなので、そういうシーンを目にする度にますます、あれは良い猫だ、という気持ちを新たにしていた。

 

冬を迎えて気温も下がってきた頃、その猫が洟水を垂らしていたので、寒いのが苦手なのかな、暖かい居場所でも作ってあげたいな、と、YouTubeなどで猫ハウスの作り方を調べ、作ってみた。しかし、作ってみたはいいけれど、そのまま公園に置いたら管理の人に撤去されてしまうので、公園の境界のやや外側、民家とのグレーゾーンなあたりに適当な場所はないかと、またいつものように映画を観た帰りにうろうろ物色していた。その日も猫はまたいつもの階段にいるから、日も短くなって真っ暗な中、階段に腰掛けて、膝の上に乗ってきたのをぼんやり撫でたりしてた。
人が通りかかって、視界の端にその人からの、この猫を気にしているような視線を感じ、「とても人懐こいですよねー この猫」と話しかけてみた。「ですよね」って、会話が始まって、「でも人懐こいから、逆に心配なんです。警戒心がまるでないから、危険を察知できなそうで」と。「でも…そうはいっても、皆に愛されてる地域の猫を勝手に連れて帰れないですしね…」と返すと、「この辺り一帯の猫の面倒を見てるボランティアの方を知ってるので、よかったら紹介しますよ」と。要約するとまあそんな感じの会話があって、その、この一帯の猫の面倒を見てる方の連絡先を教えてもらって、連絡を取り、お会いすることとなった。

 

その方は、たまたま行ったことのある飲み屋さんの店長さんだった。お店に伺って、説明を受けた。その猫(牧志の猫というところからマキオ、また、シャム系なのでシャムオ、とか呼ばれているとのこと。私は私で、公園でどっかのおじさんにシロと呼ばれているのを聞いたことがあった)は、推定6歳、オス、去勢手術・ワクチン接種済み(補助金で賄い切れなかった分はその方の拠出による)、鼻炎持ち、前歯が無い(理由不明)、穏やかに見えて武闘派な一面あり、元はどこかの飼い猫だったようではあるけれど一年くらい前からこの公園で暮らしている。猫免疫不全ウイルス(FIV)感染症の検査で陽性だった為、保護猫の団体などに預けることができず、この公園で餌をあげながら見守っていたとのこと。なのでもしお家で暮らせるなら、猫の為にも嬉しいと。それを受け、現在、私のうちには居住している猫もおらず、他の猫に感染させる心配もないし、そういった事情であればなおのこと是非にと、引き取らせてもらうこととなった。使い道の無くなった私の手作り猫ハウスはその方が貰ってくれて、代わりにキャリーバッグをいただいた。その場で譲渡契約書に署名捺印をして、正式にうちの猫となった。

 

というような経緯で、一週間くらいのトントン拍子で、その猫と同居することとなった。うちに来るにあたって、これから呼ぶことになる名前をいくつか考えたけれど、しばらく色々呼んでみて反応する名前にした。結果、「あめ」となった(今は、あめさん、あめたま、アメオ、アメ公…とか、状況に応じて適当に呼んでいる)。

 

猫も二度目なら、少しは上手に…くらいの感じで、まあ経験もあるし…と、新たな猫と暮らすことについてはそれほど重く考えてもいなかったけれど、猫といってもそれぞれ違うもので、暮らしてみて想定してなかったことも色々とあらわれてきた。その中のNo.1は、多くの人に愛されてきたこの猫の人懐こさを、私一人だけで受け止めなければならないことからくる問題。愛されること、構われること、それは当然のこと。と思っているのか、とにかく日々、構えよー、遊ぶんだよー、ご飯足りないよ!腰トントンしろよー と、とにかくもう要求が激しい。特に朝の4〜5時頃に必ず起こしてくるのが大変。疲れて寝た日の翌早朝に、猫手で頭をちょいちょいされるのをいなして、そのまま寝落ちていると、とんでもない大声でンニャァーーーと鳴かれる。ちょっとーそんな声 外じゃ聴いたことなかったよ猫なのに猫被ってるってさー とかごちつつ、眠さを堪えて彼の活動に付き合う。ペット可物件とはいえお隣さんたちへの配慮から、早朝大声の放置は出来ない(けど聞こえてるだろうな…)。


ふたつめは鼻炎問題。野良時代の洟水について、きっとこの冬の寒さで風邪をひいたんだ…って勝手に思っていたけれど、実際はアレルギーによるもので、これはなかなか治らないらしい。おっさん然とカーッと痰切ったり、フンッと勢いよく洟水を噴いたりするのを見ながら、君は自由でいいな…と感心しつつ、日々、ティッシュでその鼻を拭い、床を拭き、タオルケットの洗濯をしている。洟水は時間が経って固まると剥がすのが面倒なので、柔らかいうちにすぐ拭き取るのがコツ。

当人は鼻づまりで息苦しいのかもだけど、スピスピと寝息をたてている様子はそれはそれとして可愛く、愛おしいものではある。

 

等々、いろいろと先が思いやられるところもあるけれど、そういった困りも込みで、楽しい日々なのかな、って感じです。あめ、感染症のキャリアではあるけれど、適切な環境で暮らしていれば発症することなく天寿を全うできる猫も多いというし、健やかに、できるだけ長生きして欲しいな、と思う。楽しく暮らそう。

 

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