次郎長三国志 第五部、トリアセテートフィルム、タル・ベーラ

先日、シネマヴェーラ渋谷の「次郎長三国志&マキノレアもの傑作選!」にて上映された『次郎長三国志 第五部 殴込み甲州路』が、フィルムの劣化によりDVD上映に差し替えになるという出来事がありました。私はその差し替えになる前のフィルムで上映された回を観たのですが、画面の周辺部ではピントがあっていても中央がボケボケだったり、そのピントがあっている範囲も時間の経過で変わってゆくような甚だしいヨレっぷりだったので差し替えもやむをえなかったと思います。しかしながらその映写のピントがあっている部分に見ることのできた映像の精細感といったらそれはもう本当に素晴らしいものでした。

次郎長三国志第五部はDVDの上映となります。画面のヌケが素晴らしいプリントで皆様にこの点もご覧いただきたかったのですが、経年劣化によるフィルム自体のヨレがひどくピントがまともに合わなく上映に支障があるため、このような処置を取りました。ご理解のほど何卒お願い致します。
http://twitter.com/cinemavera848/status/169474611656925184

フィルムのヌケは昔のプリントの方が圧倒的に良いのが不思議でたまりません。技術や機材は日々進歩するため現在の方が優れているのでしょうから、何で昔のプリントの方が状態は悪くても画面はくっきりしているんだろうと思ってしまいます。
http://twitter.com/cinemavera848/status/169595183023931392


というのが、シネマヴェーラの映写技師さんのTwitterアカウントからの上映素材変更に関するツイートです。私も最近のニュープリントの旧作邦画を観ながら、おろしたてなのになんでこういまひとつシャキッとしないのだろうな…と思ったりすることがありましたが、それが撮影時に起因するものなのか、あるいはマスターとなるネガの保存状態が悪かったのか、または映写の問題なのか(映写機のランプが弱ってるとか)、様々な要因が考えられるので漠然とした印象でしかありませんでした。でもこの特集上映にあたって新たに焼かれた『次郎長三国志 第四部 勢揃い清水港』よりも、差し替えとなったヨレヨレの『第五部』の方が映像のヌケの良さという点では格段に上だったことからも、また自分自身の過去の記憶にあらためてあたってみても、この映写技師さんの意見には素直に同意できました(そもそも年間何百ものフィルムを扱ってきた経験からの実感なのだから信頼に足るということもありますが)。


ところで今回のこのフィルムの劣化は、まるでワカメのような状態だったという関係者からの話(上映後のロビーで小耳に挟んだ)と実際に私が目にした映写された映像から察するにおそらくビネガーシンドロームによるもので、ビネガーシンドロームは何なのかというのは下のリンク先を読んでもらった方が早いので興味のある方は読んでいただくとして、そこにある以下の記載が気になったのでした。

大手フィルムメーカーの富士フイルム(本社・東京)によると、同社がセルロースアセテートを材料にしたマイクロフィルムの販売を始めたのは1958年。しかし、80年代後半にビネガーシンドロームが問題化し始めたため、93年には劣化しにくいポリエステルに切り替えたという。
朝日新聞にビネガーシンドロームの記事掲載
http://haniwa.asablo.jp/blog/2011/01/23/5646687


この部分がなぜ気になったかというと、ちょうど公開されたばかりだった『ニーチェの馬』のタル・ベーラ監督の記者会見での以下の発言を読んだばかりだったからでした。

タル・ベーラ:80年代にコダックがフィルムの素材をセルロイドからポリエステルに変えて以降、例えば基本の三色、青、赤、緑は、より青みが強い、赤みが強い、緑が強いという色になってしまいました。それはスクリーンでは自然に見えるという見え方をする一方で、非常にプラスチックの人工的な感じがする色でもあって、このプラスチックなところが私は大嫌いなんです。
タル・ベーラニーチェの馬』記者会見:全文掲載(OUTSIDE IN TOKYO:映画の21世紀をみつめて)
http://www.outsideintokyo.jp/j/interview/tarrbela/03.html


引用されている朝日新聞の記事は富士フイルムマイクロフィルムについてのものですが、映画用フィルムに関しても問題は変わらないでしょう。
次郎長三国志 第五部 殴込み甲州路』に戻りますが、シネマヴェーラでかかったあのプリントがビネガーシンドロームだったならその材質はトリアセテートフィルム(酢酸セルロース)ということになります。これにタル・ベーラ監督の発言を踏まえて、シネマヴェーラの映写技師さんのいう「昔のプリントの方が圧倒的に良い」を読み直すと「現在のポリエステルフィルムプリントよりも、今回の『第五部』のプリントを見れば分かるようにセルロイド(トリアセテートフィルム)の方が圧倒的に良い」と言い換えられます。
こだわりで有名な映画監督さんと名画座の映写技師さんの意見が、色味とヌケの良さという違う要素に関しての言及とはいえこう重なってくるというのは面白いことだと思いました。状況証拠に頼った推測ではあるけれど、ポリエステルフィルムのプリントはトリアセテートフィルムのプリントに対して、保存に関する優位性はあるが映像の品質については及ばない。という仮説はそれなりに説得力あるもののように思われます。


今までプリント廃棄の話題が出る度に、映画フィルムは保管に金がかかるからジャンクも仕方ない。ネガさえきちんと残していれば後でどうにでもなるし。という風に考えていたのですが、既に失われた技術によるものの方が現状のものよりも「圧倒的に良い」となるとちょっと話が違ってきます(適切に管理されている限りにおいては。という留保がつくとしても)。その「圧倒的に良い」プリントはジャンクしたが最期、新たに生産することは不可能なのだから。
また、リンクした記事にもある通りビネガーシンドロームは未劣化のフィルムにも影響しますし、今回の『第五部』のプリントがどういう状態で保管されていたかはわかりませんが、その近くに保管されている他のフィルムも同様のワカメ状態になっている可能性は高いでしょう。缶で隔離されているにしても同様の環境にあるのだから、正直心配にもなるというものです。


と、なんだか煽りっぽい話になってきましたが、長期的にみればいつかはデジタルに変換していかざるを得ないのだし、デジタル変換にしろポジフィルムへのプリントにしろ結局はマスターであるネガフィルムからのコピーなのだから、そのネガのポテンシャルをどれだけ引き出せるかということにかかってきます。そこは現在の技術レベルでもコッポラが『ゴッドファーザー』シリーズのリストアで「なんてことだ!私の記憶よりずっと美しい!!」とかいってるくらいだから、品質的な部分ではそっちに期待した方がよいのだろうとは思っています。現時点でどうすべきかというところについては、廃棄するつもりではないフィルムを劣化するにまかせるのは保管している本人たちにとってもよろしくないだろうし、観客としても、楽しみに行ってみたらワカメだった。というのはかなりがっかりなのでなんとかしてもらいたい。あとビネガーシンドロームはポジに限った話ではないので、その大切なネガが酸っぱくなってないかというところをしっかり確認してもらいたい。ということになります(というかそんなのとっくに対処済み?だったらいいのだけど)。




LINK:


フィルムがすっぱくなるビネガーシンドロームその1(film club blog マディ折原のフィルムクラブブログ)
http://www.muddyfilm.net/2011/01/Attack-of-Vinegar-vol1.html


「ビネガーシンドロームに関する一考察 〜加水分解=加 酢分解?〜」
http://www.imagicawest.com/westcom/film/movie/doc_f070813.pdf